AMDA兵庫 理事長 江口貴博
阪神淡路大震災を乗り越えて
私たちAMDA兵庫が立ち上がったきっかけは、阪神淡路大震災でした。
1995年1月17日の発災当時、私は神戸大学の大学院生で、当直先や大学病院救急部で災害医療を経験し、インフラが麻痺する中での救急医療に医師として無力感に苛まれたことを思い出します。
そんな時、AMDAを始めとする多くの医療チームが、日本全国のみならず世界各国から被災地に応援に駆けつけ、多くの支援のおかげで神戸は復興できました。
震災翌年「阪神淡路大震災の支援へのお礼をしよう」と被災地に呼びかけ、「もっと恵まれない地域に子ども病院を」の声に多くの浄財が寄せられ、AMDA本部と毎日新聞社会事業団が主体となってAMDAネパール子ども病院を設立したのが1998年11月。その医療支援を目的にAMDA兵庫は立ち上がりました。
感謝の気持ちを支援の力にかえて
開院以来75万人を超える母子が病院を訪れ、5万人もの赤ちゃんが誕生し、その間、ネパールの乳幼児死亡率は3分の1以下となり、地域になくてはならない病院として機能しています。
2013年には3つ目の病棟である周産期病棟が完成し、乳幼児の死亡率低下のみならず、新生児と妊産婦の死亡率低下にも取り組んでいます。また2014年1月17日にはAMDA兵庫が事業主体となって患者家族棟をオープンし、患者家族の取り巻く環境整備にも支援を広げています。
東日本大震災など災害時の支援活動にも尽力
また、東日本大震災をきっかけに災害医療支援にも注力し、発災直後から岩手県釜石市や大槌町に医師や看護師、薬剤師や検査技師などを派遣しました。そして、AMDA兵庫の筆頭理事であり中国四川大地震の日本医療支援チーム副団長の経験を持つ小倉医師が、宮城県雄勝町の仮設診療所所長になったことをきっかけに雄勝町の支援にも乗り出し、現在も神戸女子大学のAMDA神女クラブの看護学生らと連携して慰問活動を行なっています。
2015年4月に発生したネパール大地震においても医師と看護師を派遣し、AMDAネパール子ども病院のスタッフとともに、震源地に近い山岳地帯ゴルカ郡で活動を行いました。
最近では熊本地震、九州北部豪雨災害などにも医療チームを派遣しています。
南海トラフ災害プラットフォームに寄せて
それらの経験をもとに南海トラフ災害プラットフォームでも徳島県阿南市を担当することとなり、AMDA本部の指導を仰ぎながら準備を進めています。また、災害時には陸路、海路が麻痺することも想像され、NPO法人航空医療研究所とともに民間ヘリコプターの確保にも取り組んでいます。
私たちの活動の原動力は、阪神淡路大震災の時に皆様から頂いた支援への感謝の気持ちです。
「困った時はお互いさま」と「救える命があればどこへでも」のAMDAのキャッチフレーズの元、南海トラフの津波災害でも多くの命が救えるように活動を続けてまいります。
今後ともご指導、ご支援頂きますよう、どうぞよろしくお願いいたします。