具現化から3年。今までとこれから。 Vol.1

AMDAプラットフォーム通信・創刊号特別コラム
AMDA菅波代表

もう「まさか」とは言いたくない

「まさか」これが災害発生時によく聞く言葉です。95年の阪神淡路大震災。07年の新潟中越沖地震、11年の東日本大震災、そして去年発生した熊本地震。いずれの災害でも「まさかここが被災するなんて」「まさかこんなに大きな規模で起こるなんて」「まさかここが通れないなんて」「まさか…」の声が聞かれました。
いずれも、AMDAは医療チームを編成して、いち早く被災地での医療支援活動を実施しました。そしてこれらの経験から「支援を行う側」と「支援を受ける側」それぞれに備えが必要であるということを確信しました。

憂いがあるから備えてきた3年間

このような思いから、プラットフォーム構想を具現化し、14年8月に総社市、丸亀市との連携協定の調印。そしてそこから、被災想定地としての四国の2県と9基礎自治体と連携協定を締結。支援を受け入れるイメージを想定しながらの避難所の選定や備蓄の準備、さらに支援チームの受け入れ場所の選定などを進めていただきました。並行して支援する側としての協力医療機関との連携、事前の交流を実施。医薬品、支援物資の備蓄、輸送手段の確保や通信網の構築など進めています。
この3年で、ここまで順調に進めてこられているのも、関係自治体・団体のみなさまのご協力のおかげと、この場を借りて感謝の気持ちをお伝えしたいです。

日本高では完結できない大災害

今、一番危惧しているのは、南海トラフ地震が日本一カ国で自己完結できる災害ではないのではないかということです。
国の想定では、死者数が32万人以上、被災者数が300万人から400万人、流通機能が30%に低下した状況が2か月以上続くと言われています。さらに被災想定地域は広範囲に広がるため、国内の物流も麻痺し、支援物資の不足が予想されます。それだけにとどまらず、支援を行う医療スタッフや活動に使う医薬品の不足も懸念しています。

VOL.2へつづく